04コトリ会議
撮影:山口真由子
コトリ会議 演劇ツアー公演3回め
『セミの空の空』
夏の日、息子がすがりついて、
「お父さん、コトリ会議の次回公演には宇宙人、出ないの?」
「出ないよ」
「僕宇宙人、出てほしいよう」
「タイトルをご覧。宇宙人、ひとかけらもないだろう」
「空の空だってカッコつけたって、どうせ宇宙のことなんだろう?」
「どうせ、どうせ宇宙なんだろう?」
「どうせ宇宙さ、そうだろう?」
「どうせ宇宙なんだろう?」
「どうせ宇宙なんだろう?」
「どうせ、どうせ」
「宇宙なんだろう?」
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いっとき、公共広告機構のCMで流れていたものです。スクランブル交差点をたくさんの人が行き交う中で、背広を着た大人同士が肩をぶつける、片方の大人は足を止めて、ムッとした表情で振り向くんです。すると、肩をぶつけたもう片方の大人も足を止めていて、こちらに向かって「ごめんね」とジェスチャーする。そうなるとムッとしていた大人も表情を崩して会釈する、えぃしーー、というやつなんですが、皆さんご存知ですか?僕もうテレビはあれだけを流してくださればそれだけでいいんでなかろかというくらい感動したCMなんです。なんでずっと流さないんだろう。テレビがやってくれないなら演劇でやれるかな。交差点で大人達は肩をぶつける、謝る、それぞれの生活へ、またぶつける、謝る、それぞれの生活へ、2時間弱繰り返す。え、すごく面白い演劇なんだけどいや違うくて、他人を、1人の誇りを持った人間として見ているのか私はあなたは、スクランブル交差点で、満員電車で、ということなんだけどな。「人」という漢字は支え合って出来ている、というのは分かってるんです、じゃあ人は人のどの部分を使って他人と支え合うのかな。分かんないよね。分かんない時は演劇を使おう。えぃしーー
(作品について コトリ会議・山本正典より)
サイエンスフィクション的な日常世界が
“コトリ”と密やかにおびやかされていく。
劇団名の「コトリ」は、小さな鳥ではなく、何かが落ちたり動いたりした時のオノマトペだ。でもこのコトリは、非常に的確に名は体を表わしている。ドシン! というほど激しくはないけれど、ポトン……よりは妙に心をザワつかせるのだ。SF的かつ詩情あふれる劇世界の中で、登場人物たちはのんきに日常を謳歌しているけど、そこにコトリと侵入してくる何かが静かに、でも確実に世界を狂わせていく。それは同時に、この世界と合わせ鏡となる私たちの現実社会への、ある種の警鐘を鳴らすのだ。カーンでもゴーンでもない“コトリ”という音の。
text by 吉永 美和子
劇評
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