新開地アートひろばでは、2023年4月より、施設全体を『あそび場』として捉え、毎月多彩なジャンルのアーティストと協働して、「あそべる作品」や「あそべる空間」を創造する、年間シリーズ企画「ニューあそび場の創造」を開催しています。
12月の「ニューあそび場の創造」では、「ダンスを渡す~長与江里奈の場合~」と題し、演出家・ダンサーの長与江里奈さん(ぞっち)をお招きしました。12/23(土)・24(日)には「ダンスを渡す~私たちの場合~」という、ダンスワークショップ参加者とともに創り上げた60分のダンス公演を開催しました。
本公演の様子を2018年に開催された「第一回新開地カブキモノ大興行」から見守り続けてくれた一般財団法人地域創造「公共ホール~現代ダンス活性化事業~」のコーディネーター小岩秀太郎さんにレビューとして執筆していただきました。ぜひご覧ください。
「踊りが生まれる瞬間を」
唐突だが、私は、その地に生きる民がその地でよりよく生きていくための祈りと願いを身体で表現してきた「民俗芸能」「郷土芸能」の専門家である。もっといえば私自身が郷土芸能の踊り手であり、日本全国が均一化され、地域固有の文化、「郷土」の概念がなくなりつつある現代において、ダンスを用いて、地域にある公共ホールの活性化と創造性豊かな地域づくりを目指すという壮大なチャレンジを遂行しようとする「公共ホール現代ダンス活性化事業」通称「ダン活」のコーディネーターのお役を仰せつかっている。
ダンスと程遠そうな異色のコーディネーターとして独り立ちして1年目の2018年、この新開地に長与江里奈さん(当時は長井)率いる山猫団と共に降り立った。
「芸能」とは、人間の身体をもって表現する技法や形のことである。であるならば、ダンスだって「芸能」だ。だが、どうにもこのカタカナ語、「芸能」に似つかわしくない。日本では明治の欧化政策のもと、西洋の唱歌や楽器、舞踏、いわゆる社交ダンスなどが採用された。“なんば”歩行を捨て、西洋の歩行法を身に受け、日本の伝統芸能や盆踊りを禁止してまで社交ダンスを取り入れた身体文化へ移行する試みがとられた。いつの間にか、芸能とダンスは日本人の意識の上で乖離していったのである。
ところが、新開地で見た、というか、長与江里奈さんの身体表現と、そこに集う人々を巻き込んでいく姿は、ダンスと芸能の垣根を取り払っていくような、“生(せい)”の生々しさがあった。「その地に生きる民がその地でよりよく生きていくための祈りと願いを身体で表現」する、まるで「民俗芸能」が生まれる瞬間に立ち会っているような感覚。
新開地自体、多様なバックボーンを持つ人間の集積地であるのは、巷の噂からも、現地を歩いてみても肌感として伝わってくるのだが、皆その地を縁(よすが)に生きようとする“生”をひしひしと感じた。よりよく生きる、食うために、稼ぐ。または祈り願う。祈りや願いを神仏に伝える表現として、人は歌い踊ってきた。
「芸能」にはそういう側面がある。江里奈さんの、この新開地での作品に「芸能」を感じるのは、そうした祈り願いを強く持つ市民を募り、その後6年間にわたって継続的に“受け渡してきた”からであろう。彼らはいわば“継承者”なのである。
「新開地舞踊歌劇団」(以下歌劇団)、新開地に伝わる舞踊集団である(ともいえる笑)。2018年、長与江里奈と山猫団を祖とし、「叶えたい夢」を目的に、山猫団作品に参加したい市民を募ったところ、いきなり多様なバックボーンと表現力を持つ人種が集い来た。 将来の夢、叶わなかった夢、持ち続けている夢、そして夢に近づくために必要なそれぞれの天性の才能を、身体を使った表現の中から江里奈さんが引き出し、「人間博覧会」と称した作品として発表した。才や能や身体というのは、いかなる人にも生まれながらに与えられているもので、その多様性こそが、街や地域生活の豊かさや魅力につながっていく。日頃の生活ではなかなか見えてこないこれら多様な能力や身体を、あえてハレの日を作ることで炙り出す。
そして認め合ったり、差別(というか差異を知ること)したりすることで、新たな推進力、生きる力が生まれてくる。このハレの日こそが「祭り」なのである。江里奈さんとKAVC・新開地アートひろば、ここ新開地で、毎年に一度の「祭り」を執り行ってきた。そこで歌劇団によって繰り広げられる踊りや歌は、新開地の祈りや願いを叶えるための奉納、供物であるように見えてきた。
新開地という地に根ざす人々の願いや祈りの、民俗芸能、郷土芸能の興りを見たようで、興奮してしまったのである。
2020年、コロナ禍の真っ只中、江里奈さんと山猫団、歌劇団は新開地に集っていた。準備してきた公演を延期するか、中止するか、オンラインにするか、命の危険にさらされても、今やるべきことなのか。
こうした光景を、私は東日本大震災直後の被災地の芸能団体に重ね合わせていた。彼らは、家族や友人、家も、地域も流され、離散させられ、生活再建の目処も立たぬ中で、「祭りをいつからはじめようか」「踊りに使える道具はないか」と、集い、語り合った。芸能や祭りが唯一、無くなりそうな地域を繋ぎとめ、落ち込みそうな自分を奮起させる心の支えとして、それぞれの身体一つで踊りはじめ、瞬く間に地域を盛り上げ、復興の原動力となっていったのだ。
2021年、正月明けだが、人の活気もない寒々しい新開地。江里奈さんは「つぶれても、壊れても、ゼロからもまれ、立ち上がる。生まれる瞬間を」と唱え、緊急事態作品を“奉納”した。そこにはもちろん、歌劇団の面々もいた。
「なぜ、人は踊るのか?」 緊急事態の中で、ダンスをすることそのこと自体が、表現が、人をどれだけ救い、立ち上がらせるのか。神戸の震災後、新開地が復活したように、コロナで自粛になろうと、人が協力し知恵をしぼり、立ちあがる姿をその時観ることができた。公演日は1月17日、阪神・淡路大震災の日だった。
そして、2023年12月24日のハレの日、江里奈さんも、山猫団の皆さんも、歌劇団も、相変わらず一人一人の多様さ多彩さが際立っていたけれど、そこに存在する誰をも取りこぼさないようにと、互いを気にかけながら歌い踊るその姿は、やっぱり新開地らしい「芸能」だな、と一人合点し、いい気分で東京行きの終電に飛び乗ったのだった。また来年のハレの日を楽しみに。
小岩秀太郎 KOIWA Shutaro
(公社)全日本郷土芸能協会 常務理事|縦糸横糸合同会社 代表社員
1977 年岩手県一関市舞川出身。郷土芸能「鹿踊(ししおどり)」伝承者。全日本郷土芸能協会に入
職し、郷土芸能の魅力発信、復興支援、コーディネートに携わる。東日本大震災を契機に、地域と
都市を芸能でつなぐ「東京鹿踊」プロジェクト、ならびに東北で「縦糸横糸合同会社」を創業。地域
に伝わる“縦糸”と現代軸の“横糸”が「出会う場」「機会」をつくり、地域文化の“魅力”“再・新解
釈”“再・新定義”を促進する企画をプロデュースしている。多様な視点で新たな継承の形を探求し、
伝承文化が社会実装され、魅力的な地域と人々が次代につながっていくことを目指している。