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ふしぎを見つめる時間 林勇気×芹沢高志対談

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  • 2026.7.17

ふしぎを見つめる時間 林勇気×芹沢高志対談

実施日: 2026 年 6 月 21 日(日) 
場所: 新開地アートひろば内 
構成:林正樹(新開地アートひろば)、文:横山春乃(新開地アートひろば) 

登壇者プロフィール 

林勇気 

膨大な写真をコンピューターに取り込み、それを切り抜き、重ね合わせることでアニメーションなど、映像作品を制作。 自身で撮影した写真のほか、他者から提供された写真やインタビューも素材として用いながら、デジタル・メディアやインターネットを通じて、私たちがどのように人とつながり、記憶を残し、情報を共有しているのかを見つめ直す作品を発表している。今回は「夏のふしぎひろば」にて、新作『夏のふしぎな光』を展示する。

芹沢高志 

1989 年に P3 art and environment を設立し、アートと環境を横断するプロジェクトを国内外で展開。横浜トリエンナーレ2005キュレーター、別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」総合ディレクター、さいたまトリエンナーレ2016ディレクターなどを歴任。2012年から2021年までデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)センター長を務めるほか、地域とアートをつなぐ活動を長年実践している。2026 年 4月から新開地アートひろばのアドバイザーに就任。

7 月 20 日(月・祝)より新開地アートひろばで始まる「ニューあそび場の創造 vol.18 夏のふしぎひろば」。本企画で新作『夏のふしぎな光』を展示する映像作家・林勇気さんと当館のアドバイザーである芹沢高志さんが、開幕前に対談を行いました。作品に込められた思いや制作の背景、そして新開地アートひろばが林さんを招聘した理由や、この場所だからこそ生まれるアート体験について語り合います。 

ニューあそび場の創造vol.18「夏のふしぎひろば」

① 「電源が落ちた瞬間、いつの間にか別の現実に入り込んでいた」|なぜ林勇気なのか 

(芹沢)

林さんの作品は、シンプルに見えるんだけど、作品の背景にものすごく思索の厚みを感じているんです。いろんなコンテクストが埋め込まれていて、どの文脈を引き出すかによって全然違う意味になって伝わるので、すごいなって思っているんですよ。 

その林さんが、なんでこの新開地アートひろばでやるのかなっていうのが、まず知りたいことだったんです。 

(横山)

それは企画担当者の私から、まずお伝えします。 

私が林勇気さんに展示をお願いしようと思ったきっかけは、2022年にクリエイティブセンター大阪で開催されていた個展でした。 
この個展では、林さんご本人が開館時に映像の電源を入れて、閉館時には一つひとつ電源を落とされていき、最後は会場の一部がろうそくの明かりで灯される、ということをされていました。 

電源が次々と落ちていくのを見ていて、「あれ?」と不思議に感じたんです。それまで映像を見ていたことが現実だと受け止めていたのに、その行為を目の当たりにした瞬間、現実に引き戻された感覚がありました。どちらも同じ現実なのに、いつの間にか自分は別の現実に入り込んでいたんだなと思ったんです。そのことに気付いた時、自分の認識が切り替わるような体験をしたんだと思いました。 

私はこの「認識が切り替わる体験」こそが、アートの大きな力の一つだと感じています。 

「夏のふしぎひろば」でも、鑑賞者一人ひとりに、日常の景色や身近な出来事をいつもとは違う視点で見つめてもらいたいと思っています。 そして、ものごとの見方が変わることで、世界に対する捉え方も少し変わる。そんな小さな発見や驚きが、感覚や想像力を広げるきっかけになればと考えています。 

林さんの作品は、何かを説明したり答えを示したりするのではなく、鑑賞者自身の感覚や認識を揺さぶります。その体験は、「夏のふしぎひろば」で私が届けたい体験そのものです。 だからこそ、新開地アートひろばに訪れる子どもたちや大人の方も、林さんの作品を通して、そんな「ふしぎ」に出会ってほしいと思い、展示をお願いしました。 

(林) 

ありがとうございます。電源を切るということは、今回の展覧会では特に考えていませんでしたが、お話を改めてお聞きして、何か展示が反転する瞬間みたいな要素が、あってもいいのかなと思いました。  このイベント「夏のふしぎひろば」もそうだし、展覧会もそうなんですけど、大人も子どももっていう対象の広さみたいなところを踏まえて何をするのかを考えています。 

② 「夏」という言葉には、それだけ人の記憶を呼び起こす力がある。|人間としての核になっている部分 

(林)

今回は、夏の一瞬の記憶みたいなものを作品にすることで、子どもならではの視点でも見られるし、大人も過去を振り返ることができる。そういうきっかけというか、トリガーになるような、そんな作品にできないかなって考えています。 

(芹沢)

林さんがここで展示すると聞いたとき、「子ども向けの企画だから子どものためにつくる」という話ではないと思ったんです。子どもと大人を分けて考えるのではなく、人間そのものに対して物語を語るような、そんな作品になるんじゃないかという気がした。だから、子どもは子どもなりに受け取れるし、大人も大人なりの受け取り方ができる。 

タイトルを褒めるのも失礼だなと思うけど、僕は特に今回の作品タイトル『夏のふしぎな光』が素晴らしいなと思った。 

「夏」というのは、言葉が引き出してくるイメージがある。こんなに歳を食っても、子ども時代の楽しかった思い出とか、あるいは、ほろ苦い思い出とか。「夏」がいろんなものを想起するトリガーとなると思う。 

僕自身はそこまで好きではないんだけど、ロバート・A・ハインラインっていう SF 作家の『夏への扉』っていう小説があるじゃないですか。 

あれは確か、作家がコロラドに住んでいる頃の話で、自分の飼っていた猫が、猫用のドアの前でいつもずっと待っている。扉を開けてやっても、寒いから外に出ていかない。それでも、じっとその扉の前に立っている。すると、ガールフレンドだったか奥さんだったか、「あのこは夏への扉を探しているんだ」って言う。その扉の向こうに夏がある、ということなんでしょうね。 その言葉を聞いて、彼は数週間であの本を書いちゃったらしい。そういう力が夏にはある。ふっと思い出がよみがえってくるような。 

お話を聞いていると、たぶん林さんの個人的な思い出を核にしながら、子どもも大人も関係なく、それぞれが受け止められるような作品になるんだろうなと思う。夏にまつわるちょっと不思議な、論理的では割り切れないような何かがあって、ふっと日常の感覚を揺り動かしてくれる。そんな印象を受けるね。それが光を通して映像的な世界が立ち上がってくるんだと思うと、思わず引き込まれるような、そんな期待を抱いてしまうなあ。 

(林) 

子どもを主人公にして作るのは初めての試みです。芹沢さんがおっしゃってくださったように、自分の少年時代が強く反映されています。そのことは、見る人にとっては重要ではないかもしれないんですけど。

実は登場人物は少年をイメージしていました。ただ、出演者として応募してくださったのが、全員女の子だったんです。彼女たちの姿を借りて、自分の少年時代を映す作品にします。自分の少年時代は自身の人間の核になっている部分がかなりあると思います。

あと子どもの頃から、少年が出てくる小説に惹かれていて。 ロバート・マキャモンっていう、たしかホラーの作家だったと思うんですけど、『少年時代』っていう小説があってとても記憶に残っています。

レイ・ブラットべリの『たんぽぽのお酒』や、スティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』、池澤夏樹の『南の島のティオ』も好きでした。 どれも少年時代の夏の不思議な物語を描いていて、今回はそういった小説の要素も、自分の中で咀嚼しながらできるといいなと思っています。 

③ 『夏のふしぎな光』の世界|おばあちゃんの家から始まる宝探し 

(林) 

展示の構成自体は、地下1階のギャラリーをいくつかのスペースに割っています。一つは、夏に行ったおばあちゃんの家のイメージで、畳や古い家具とかが置かれている部屋を意味的な余白を残したかたちで再現します。

もう一つは、作品の主人公の子ども達が、住んでいるようなマンションの部屋を再現して、その中に記憶が散らばっているようなイメージを考えています。例えば、机の上に置かれた湯呑みをきっかけに、海で釣りをしたことを思いだしたりするとか。そういったことが映像で表現できないかなと考えています。 

(芹沢) 

主人公の子ども達が旅をしていくんだよね? 

(林) 

そうなんです。おばあちゃんの家から始まります。おばあちゃんの家の倉庫で古い地図を見つけて、その古い地図をもとに宝探しに行くっていう物語です。物語自体も途中で 2 つに分岐していて、宝にたどり着く場所は別々の場所なんです。これ以上言うとネタバレになってしまうんですが(笑) 

(芹沢) 

展示を楽しみにしています。 

④ 光が反転する|ピンホール、映像の発生、「ダブル」という思想 

(林) 

タイトルに「光」という言葉を入れているのは、これまでの自分の作品にも接続させる要素を入れたいなと思ったからです。並行して、映画史的な要素を織り込んだり、初期映画とか映像の仕組みたいなものが、この展示の中でふわっとつながって見えてくるようなことを考えています。 そんなことを映像と展覧会で提示できたらいいなと思っています。 

(芹沢)

映画が生まれた当初、それはただの発明っていうより、一種の驚きや不思議を体験していたんじゃないかな。静止した写真に光が当たって、それが動いて見えるっていう。ある意味マジックだよね。それは子どもも大人も関係なく驚いたと思うし、こういう不思議って、特別な現象とかそういう話じゃなくて、僕らがいつも見ているこの世界が、ちょっと視点を変えるというか。 

何かのきっかけでふっとさ、急に見え方が変わる時ってあるじゃない。あの時やっぱり驚きとしか言いようがないけど、「何でこんな事になっているんだろう」っていう不思議さがあるよね。 

(林) 

「不思議とは何か」って考えていた時、ピンホールカメラを思い出したんですけど、あれってすごく不思議じゃないですか。なんで暗い部屋に小さい穴を開けたら像が映るんだろう。しかも反転しているし。とか。

今回の作品には、「二つでひとつ」という要素が入っていて、双子の姉妹という設定もそうですけど、ピンホールカメラのように、映すものと映されるものという対の関係を持っているものが散りばめられています。 

そういったところからも映像の根元にある不思議さや、その成り立ちや歴史とのつながりを少しでも感じて貰えたらいいなと思います。 

(芹沢)

実は僕の母が双子の姉妹なんです。小学生くらいまで、ずっと母親は一人っ子だと思っていたんだけど、ある日、双子の片割れが訪ねてきてね。その時の子どもの僕の衝撃といったらなかったよ。 

一卵性の双生児だったから、子どもながらにどっちが母親かわからなくなりそうでさ。それこそ不思議な出来事で衝撃だったなあ。だいぶ大人になってからも、その伯母と会う度、あの時の驚きに引き戻されるくらい衝撃的だった。 

そういう意味で、僕も「対」っていうか、ダブルなものに関してはものすごく興味がある。 

(林) 

そういえば、以前、映像制作したときに、結構特殊な作り方をしたことがありました。役者さんに指示書だけ送って、スマホを使って自分で撮影してもらったりとか。

その指示書っていうのは、僕自身が経験したことが書いてあるんです。ちょうどコロナ禍の時期に作った作品で、僕自身の経験を追体験してもらうような。それもダブルですよね。 

(芹沢) 

映像っていうのは、儚いよね。最初の話みたいに、電源を落とすことによって消えてしまう。 林さんの作品はいろんな文脈や角度から、読み解くことができるよね。だから双子ということも、単なる登場人物としてだけでなく、ポジとネガのような対の関係として捉えることが出来る。 

そうした「対になるもの」の感覚が、説明ではなく映像を通して自然と伝わってくるところが、林さんの作品の魅力だと思うんですよね。 

(林) 

儚いものとか、時間が過ぎていくっていうのに、とっても囚われているんですよね。なぜかはわからないんですけど、ものすごく惹かれるというか、掴まれているんですね、そのことに。 

この一緒にいる時間も、数時間後にはなくなる。それって本当にあったことなのか、みたいな。目に見えて、触れたり、体験したことっていうのが、数時間後には霧散しちゃう。そこがすごく胸を打つ。永遠には続かないというか。 

情緒的な要素を消そうと考えていた時期もありましたが、でもそれって滲み出てくるものじゃないですか。結局、自分の中に強く根付いているものなんですよね。 

⑤ 「子ども向けにわかりやすく」しないこと|開かれているとは何か 

(芹沢)

子ども騙しって言い方あるじゃないですか。子ども騙しって、騙されているのは大人だけなんだよね。子どもを騙しているというよりは、大人が騙されているだけの話。子どもの方が本質をよくわかっている。 

そこで日和ってしまうと、大人だけが納得して、子どもには何も残らない作品になってしまう。子どもに向けた表現ほど、その本質が問われるのだと思う。難しいよね。 

(林) 

そうなんですよ。とても難しいなって思っていて。だから、子ども向けとか考えないでやった方がいいんだろうなと思っています。 

通常の展覧会に作品を展示した時、子どもは子どもなりの目線で楽しんでいる様子を実際に見てきました。 

子どもの気持ちって、自分の少年時代のことは思い出して分かるんだけど、他の子どもの気持ちは分からない。だから今までの自分の仕事をそんなにずらすことなく、自分の少年時代のことを思い出して、小説家が少年小説を書くような気持ちで作れたらいいなと思っています。  

そういえば、この前、『ニュー・シネマ・パラダイス』を久しぶりに見たんですけど、若い時に見た時と全然印象が違っていて、ショックを受けました。年齢を重ねてから改めて見ると、過去を振り返る視点が強くあって、記憶や時間を見つめ直す映画だったんだなって思いました。 

『夏のふしぎな光』も鑑賞者の年齢によって見え方の変わる作品になればいいなって。

(芹沢)

僕の場合は、フェデリコ・フェリーニの『アマルコルド』っていう映画を思い出す。この映画は、彼自身の子ども時代の記憶を元に制作されているんだけど、もしあれがいわゆる子どもの視点から見た映画を作ろうなんて考えていたら、もっと薄っぺらいものになっていたと思う。自分の子ども時代というのは、実際に自分が体験したことだから、そこには嘘がない。 実体験に根ざした作品だからこそ、子どもにも大人にも自然と伝わるんだと思う。 

逆に、「子ども向け」を意識しすぎると表面的な作品になって、大人だけが満足して、子どもの心には何も残らないものになっちゃうんじゃないかな。 

⑥ 地域と作品が出会う|「新開地アートひろば」という施設 で展示すること

(林) 

新開地アートひろばになってから、そこまで状況を知らないというのが前提ですけど、恐らく神戸アートビレッジセンター(通称:KAVC)時代に比べると、かなり客層が変わったんじゃないかとは思います。 

KAVCの時は、1階のフリースペースに自習しに来ている子ども達の姿ってほとんど見なかったですけど、今は勉強してたり、おしゃべりしに来てる小学生や中高生の姿をよく目にします。 

そういう意味では、オープンに開かれている公立施設の在り方みたいなものが上手く機能しているのかと思う。 

作品を発表する場所が、ホワイトキューブかどうかは、自分にとってはそれほど重要じゃない。場所の持っている意味や背景については考えるけれど、ひとまず、映像作品なので遮光が出来ればいいというか。遮光できない場所でも展示する場合はあったりするんですけどね。 

(芹沢)

僕は環境関係の出身なので、どの場所で展示するかということは非常に感心がある。展示空間については、映像作品だから、空間の作り方や工夫次第で対応できると思っているので、それほど心配していない。それよりも大切なのは、新開地アートひろばという場所で、林さんの新作を発表することの社会的な意味だと思う。 

林さんのお話を聞いていると、この場所だからこそ生まれる作品を考えてくれたんだなと思った。 

⑦ 自分がここにいることの不思議|見終わったあとの余韻へ 

(芹沢)

たぶん林さんが見せてくれる「ふしぎ」は特別なことでなく、「自分がなぜこの世界にいるんだろう」とか、世界や自分の存在をふと見つめ直すような感覚なんじゃないかなと思う。 

映像の中に出てくる子ども達の冒険と自分を重ねることで、子どもは共感する部分がたくさんあると思うし、大人は少し距離を置いて見て、自分の中にある記憶や感情が湧き上がってくる。 そして、大人も子どもも、作品を見終って外に出たとき、「自分がここにいる不思議」を感じてくれたらいいなあ。 

(林) 

この世界にいる自分の体験や記憶を見つめ直すような体験を、お客さんがしてくださったら嬉しいですね。じんわりと心に残って、子ども達が大人になったときに、「そういえば、あんな作品見たことあるな」と思い出してくれたら、すごく作った甲斐があるなと思います。 

 「なぜ新開地アートひろばで林勇気さんの作品を展示するのか」という問いから始まった今回の対談。少年時代の記憶や、「夏」という言葉が持つ、人それぞれの記憶を呼び起こす力など、さまざまな話を重ねるなかで、作品の根底にある視点が少しずつ見えてきました。 一人ひとりが「ふしぎ」と出会い、自分自身や日常を見つめ直す、そんな時間を生み出すことができればと思っています。 
この夏、ぜひ会場で『夏のふしぎな光』をご体験ください。