神戸アートビレッジセンター(KAVC)では、手話裁判劇『テロ』の公演を開催した2022年10月から2023年3月までの間、公演で得た経験や見識を公演以後の自主事業の企画運営や施設運営に繋げていくため、外部の専門家2名(長津結一郎 氏、嘉原妙 氏)に伴走していただきながら、公演制作に携わったスタッフが公演の制作過程を振り返る「事後プログラム」を実施しました。
「事後プログラム」の中では、公演に携わったKAVCスタッフが自らの経験について共有する座談会を行ったほか、公演関係者へのインタビュー、出演者へのアンケートを行いながら公演内容の振り返りを進めました。ここでは、嘉原妙 氏による事後プログラムでの寄稿テキストを、公演アーカイブの一部として掲載します。
感覚の異なる他者に出会い、身体が変容するその先に。
文・嘉原妙
創作環境における、コミュニケーションや情報保障の在り方を振り返る
なぜ、事業実施後に振り返りが必要なのか。事後検証とはどういう目的があるのか。一般的には、その事業の成果と課題を整理し、価値化していく目的があるだろう。できるだけ客観的に、冷静に分析し評価すること。しかし、果たしてそれだけが事後検証の目的だろうか。特に芸術文化事業において、振り返りにはそうした成果の価値化に加え、もう一つ大切な側面がある。それは、事業に携わった人々が、自ら感覚的に掴んできた物事に改めて意識を向け、それぞれのなかで身体化された「何か」を言語化し、さらにそれを他者と共有することだ。
個々の経験の言語化と共有を侮ってはならない。なぜなら、事業に携わった個人の気づき、ささやかな引っかかり、次はもっとこうしたいという意思を改めて言葉にし共有することは、次の取り組みへのモチベーションを育むだけでなく、そうして培われた視点や実践の意義は、芸術文化事業を主導する組織の態度表明として事業に反映されていくからだ(と私は信じている)。とはいえ、芸術文化事業において、事業実施に精一杯で、なかなかじっくりと振り返りの時間を持てないというのが実情だろう。
そういう意味でも、今回、神戸アートビレッジセンター(KAVC)プロデュース公演、手話裁判劇『テロ』の事後検証プログラムは興味深い取り組みだった。昨年9月に、KAVCスタッフから『テロ』の事後検証プログラムの相談を受け、10月の公演も鑑賞し、この振り返りの取り組みに伴走することとなった。『テロ』は、オーディションで選ばれた、ろう者、聴者、視覚障害者、演劇の経験の有無もさまざまな人々が出演する演劇作品だ。第一言語や文化、感覚世界の異なる人々が共創するこうした現場では、情報保障やコミュニケーションの在り方が要になってくる。
そこで、本事後検証プログラムでは、『テロ』の創作環境におけるコミュニケーションの状況を検証することにした。出演者や演出家、主催者による多角的な視点での振り返りを通して、今後の公的文化施設の新たな創作環境づくりにつなげていくこと。さらに、情報保障やアクセシビリティの検討を深めていくことを目的に定めた。具体的には、公演終了後、検証方法について協議を重ね、1月下旬〜2月上旬にかけて「出演者向けアンケート」を実施し、出演者11名のうち9名から回答が得られた。その後、2月下旬にはアンケートの回答を踏まえながらKAVCスタッフで振り返り会を、さらに3月上旬には本作の演出、ピンク地底人3号(以下、3号)とKAVCスタッフと共に振り返りを行った(振り返り会は全てオンラインで実施)。
本来は、関係者全員が揃って振り返りを行い、こうした記録も書記言語だけでなく、映像記録(字幕付きで)も残しておいた方が良い。実際、出演者からも手話通訳を交えた対面での振り返りを望む声もあったが、検証手法の協議を重ねるなかで、様々な制約と諸事情により、今回はアンケートとオンライン振り返り会による検証、書記言語のみの記録とした。
稽古場でのコミュニケーションの創意工夫と課題
アンケートでは、主に稽古場でのコミュニケーションの風景を振り返る質問を出演者に投げかけた。「稽古〜公演終了を振り返って最も欲しかった時間は何か?」「出演者同士のやりとりや作品制作で特に印象的だった出来事は何か?」「出演者同士のコミュニケーションで工夫していたことは?」「創作現場における手話通訳士の存在や役割について」「舞台芸術の鑑賞サポートへの要望」「今後チャレンジしたいこと」など。
出演者の回答からは、コロナ禍での稽古の難しさ、稽古の時間や演出、芝居に対する考えを共有するような時間がもっと欲しかったという共通の思いが読み取れた。それだけでも、さまざまな制約のなかで、いかに創意工夫を重ねながら創作してきたのかが伺えた。情報保障やコミュニケーションに関する回答からは、出演者それぞれが、言語や身体感覚の違いに意識を向け、各自の感覚が ひらかれていった様子を垣間見ることができた。
例えば、LINE、筆談ボード、UDトーク、手話、手話通訳を介した対話というように、コミュニケーションの手法は多岐に渡っていたし、他にも、裁判長役の山口文子と田川徳子は、「れんらくノート」という交換日記をしていたようだ。『テロ』では、ろう者と聴者が2人1組のペアになって1人の人物像を演じる。そのため、ペアで人物像のイメージをすり合わせ、息を合わせて演じる必要があり、本作において、ペアのコミュニケーションが非常に重要だったことが理解できる。さらに山口は、「最初に伝達ルールをつくっておくべきだった」と答えている。それは、例えば、演出について話し合うときに上手く伝わらず時間を要したこと、手話だけで話していると、全盲の関場理生には伝わらないという経験からくるものだった。同じく検察官役の森川環も、関場とのコミュニケーションにおいて、「ろう者が、普段、言語マイノリティとして聴者の世界のなかで困っていることを、手話がマジョリティの稽古場では、無意識に同じことを関場さんに対してやってしまっていた。それは最後まで自分のなかでも課題だった」と振り返っている。
手話通訳の存在については、皆一様に稽古場に居てくれることの安心感が大きかったようだ。また一方で、手話通訳が変わることによる情報保障の変化に少しストレスを感じていたこと、できれば専属の手話通訳がいて欲しいという意見もあった。さらに、演出や表現の助言など創作も含めて共に取り組む立場が良いのか、それとも純粋にコミュニケーションの通訳という立場が良いのかといった、創作現場における手話通訳の役割に対する興味深い言及もあった。
本作において、当初、ピンク地底人3号の意向により手話通訳は準備されていなかった。それは、言語も身体感覚も異なる者同士が、必死にコミュニケーションしながら稽古を重ねることを期待していたこと、過去、『華氏1832』の作品で、ろう者、聴者と協働した際には、手話通訳を介さず制作できたという3号自身の経験もあったからだ。しかし本作では、その手法が通用しなかった。自分の見通しが甘かったのだと、3号も振り返っている。それは、公演の実施規模の違いもさることながら、手話という言語の捉え方が人によって異なるところが大きかったようだ。
こうして、稽古が始まって早々に、3号からの要請により手話通訳の配置をKAVC側は進めていくことになるわけだが、実は3号は、手話通訳に「通訳が必要とされていなければ入らなくて良い」と伝えていたらしい。「ついどうしても難しそうな茨の道を選んじゃうんですよね」と3号は答えていたが、どうにか意思疎通をはかろうと格闘しながら創作すること、その可能性に対するこうしたアーティストの態度は、共に創作に取り組む人々に影響を及ぼしていく。事実、KAVCスタッフは、「劇場側の本気度を試されているような気持ちだったし、アーティストの想像力を狭めないように、新しいチャレンジに私たちもなんとかサポートしなければという思いだった」と振り返った。
学び、対話し、試行錯誤し続けた情報保障の在り方
「とにかく目の前にある課題をどうにか解決しようと動く。その連続だった」とKAVCスタッフたちは口を揃えて言う。スタッフにとっても、ろう者や視覚障害者とのコミュニケーションは初めてで、わからないことだらけだった。振り返りでまず印象的だったのが、「現場スタッフに対しても情報保障が必要だった」という視点だ。例えば、当初、ろう者=手話で会話する必要があるという考えになっていたこと。手話ができなくても筆談やUDトークなどろう者とコミュニケーションをはかる方法はたくさんある。まずは相手の感覚世界を知り、コミュニケーションを取りに行こうとする姿勢や、それにはどういった方法があるのか、ろう文化や盲文化なども学ぶ機会がまず最初に必要だったと振り返った。
また、手話通訳の参加は、スタッフにとって情報保障やアクセシビリティの環境設計を考える上で大きな学びの機会となっていた。例えば、今回、手話通訳コーディネーターの役割を担った手話通訳士が1人おり、彼女が『テロ』の作品内容や稽古場の状況など、かなり詳細に他の手話通訳士に事前共有を行っていたようだ。さらに、公的文化施設であるKAVCに対しても、今後の手話通訳士との事業連携なども想定し、手話通訳とのコミュニケーションのポイントや手話通訳の役割、費用に関することなど具体的なフォローアップが行われていた。
『テロ』の振り返りを進めていくなかで、もう一つ印象的だったことがある。それは、出演者とKAVCスタッフの関係性だ。スタッフは、初めて尽くしでわからないことが多かった。だから、なんとなくでは判断しないこと。何をするにも出演者に相談して取り組んできたのだと言う。この言葉からも、彼らが対等な関係を築こうとした姿勢が伺える。まさにそれを象徴していたのが、公演の「鑑賞サポート」の取り組みだ。アンケートの回答にも「今回、思いつく限りのあらゆる鑑賞サポートを対応してくれた」という出演者からの多くの声が寄せられた。例えば、最寄り駅からKAVCへのアクセスがわかりづらいという声を受けて、写真付きの案内資料を作成しウェブに公開したり、公演が開幕した後も、鑑賞体験の情報が足りていないところはないか、もっとより良い伝え方があるのではないかと試行錯誤を重ね、公演終了までの間、続々と案内板などが増えていったらしい。当事者である出演者とスタッフの対話と実践が、こうした鑑賞サポートを裏支えしていたことがよくわかる。また、出演者向けの事後アンケートで「将来的に『テロ』のような公演が行われる場合、出演したいか」との質問に対して、回答者全員が「出演したい」と答えていた理由も、こうしたスタッフの真摯な対応によるところも大きかったのだろうと拝察する。
手話裁判劇『テロ』の実践を経て得た、まなざしと次へのアクション
そもそも、なぜこうした情報保障が必要なのか。その根拠を実体験を基に説明できるようになったことがとても大きいとスタッフは振り返る。さらに、今では、他館の公演を見にいった際、情報保障の取り組みに注意が向くようになっただけでなく、もっとこうすると良いのではないかと考えてしまうのだと言う。それは、『テロ』の経験を通して、スタッフの感覚や思考が変容し始めていることの表れと言えるだろう。そうした変化は、3号や出演者のその後の活動からも垣間見える。
例えば、出演者のなかには、自身の劇団で情報保障の取り組みとして「台本貸出」を始めていたり、手話やろう文化をテーマに何か創作できないかと模索中の人もいるようだ。そして、今回初めて全盲の関場と関わった3号は、視覚障害者との新たな創作に取り組もうとしていると聞く。
わかりやすさとは、丁寧にやることに尽きる。これは、振り返りのなかでスタッフが言っていた言葉だ。情報保障やアクセシビリティとは、仰々しいものなのではなく、まさにこの言葉の通り、当事者の立場を想像し、当事者と共に話し合い、確認し、お互いに知恵を絞ってより良い方法を探っていくこと。まずはできることから始め、真摯に取り組むことに尽きると言っても過言ではないだろう。
本作の公演にあたって、3号は、聴者がろう者や視覚障害者との創作を経験することで、情報保障やアクセシビリティの在り方に意識を向けること、そして、その気づきを各自の劇団や次の創作現場につないでいくことで、全国各地で草の根のように劇場のアクセシビリティが向上されていくことも期待して取り組んでいたのだと語っていた。まさに、そうした気づきの種が、各地で少しずつ芽吹き始めている。
そしてなにより、ここKAVCには、情報保障やアクセシビリティに対する視点を体得したスタッフがいる。それも1人、2人ではない。『テロ』での実践、そしてこの事後検証プログラムを通して、チームとしてその感覚や視点を共有していることは、今後、組織としても大きな財産となるはずだ。なぜなら、人は経験を軸に想像力を逞しくさせ、新たな手法や仕組みをつくっていくのだから。振り返りの最後に、スタッフから、この検証結果のアウトプットの形まで考えが及んでいなかったことに対する反省と気づきの声があったことも、ここに記しておきたい。
KAVCは、2023年4月から「新開地アートひろば」に生まれ変わる。心地よい「ひろば」にさまざまな感覚世界を持つ人々が集い、思い思いに自由に過ごしている風景を想像する。そうした風景のなかに、今回掴んだ情報保障やアクセシビリティに対する気づきの種が、たくさん芽吹いていくことを願わずにはいられない。
嘉原妙
アートマネージャー/アートディレクター
1985年兵庫県生まれ。京都芸術大学卒業。大阪市立大学大学院創造都市研究科(都市政策学)修士課程修了。在学中より、企業メセナ協議会インターン、現代アートを中心に展覧会や美術鑑賞教育プログラム、アートプロジェクトの企画運営に携わる。2010年秋よりNPO法人BEPPU PROJECTにて、地域をフィールドに様々なアートプロジェクトの運営に従事。主な事業に、国東半島アートプロジェクト(2012年・2013年)、国東半島芸術祭(2014年)にて美術・パフォーマンスの作品制作・進行管理や、地元企業や市民と協働したツアープログラムの開発などを担当。
2015年4月〜2022年3月まで、アーツカウンシル東京 プログラムオフィサーとして、東京アートポイント計画事業、人材育成事業「Tokyo Art Research Lab」、Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)(2015年〜2020年)に従事。2022年4月より、宮島達男「時の海-東北」プロジェクトディレクター、女子美術大学・女子美術大学短期大学部 非常勤講師、「めとてラボ」プロジェクトマネージャーとして活動。