神戸アートビレッジセンター(KAVC)では、手話裁判劇『テロ』の公演を開催した2022年10月から2023年3月までの間、公演で得た経験や見識を公演以後の自主事業の企画運営や施設運営に繋げていくため、外部の専門家2名(長津結一郎 氏、嘉原妙 氏)に伴走していただきながら、公演制作に携わったスタッフが公演の制作過程を振り返る「事後プログラム」を実施しました。
「事後プログラム」の中では、公演に携わったKAVCスタッフが自らの経験について共有する座談会を行ったほか、公演関係者へのインタビュー、出演者へのアンケートを行いながら公演内容の振り返りを進めました。ここでは、長津結一郎 氏による事後プログラムでの寄稿テキストを、公演アーカイブの一部として掲載します。
全く別の世界をつなぐ「ひろば」へ
文・長津結一郎
「鑑賞サポート」だけでない困難
手話裁判劇『テロ』(2022年10月5日〜10日、演出:ピンク地底人3号)を、劇評とは違った角度で事後検証すること。神戸アートビレッジセンター(KAVC)のスタッフからこのような依頼をいただきこの原稿は生まれている。具体的には、公演も鑑賞させていただいたが、公演の事後処理がひと段落ついた11月に、スタッフのみなさんと、公演の実施プロセスの振り返りとしての座談会を実施した。
通常の演劇公演ではこのような事後検証はあまり行われない。今回このようなことを行う理由のひとつに、この公演が聴覚もしくは視覚に障害がある人が出演者にも客席にも多く、KAVCにとっての新たな挑戦が多かったことが挙げられるだろう。実際、公演のウェブサイトを見ると、多くの「鑑賞サポート」が行われたことがわかる。優先席の案内(車椅子席、補助犬同伴が可能な席だけでなく、舞台全体や字幕が見えやすい席、音響が聴きやすい席、途中退場しやすい席)、戯曲の入手方法の案内、公演内で用いられる言語の紹介(手話と発声[日本語])、受付での筆談や手話通訳対応について、客席までの誘導スタッフの配置、バリアフリー日本語字幕、舞台セットや舞台上の状況の客観的事実の事前説明機会の保障…。
ただ、スタッフのみなさんの話を伺ってまず驚いたのは、公演が実現するプロセスの困難さを特徴づけていたのは、「鑑賞サポート」に関することだけではなかったことだ。スタッフのみなさんの振り返りも兼ねて、公演制作のプロセスを年表にまとめていただいたのだが、プログラムディレクターであるウォーリー木下氏とスタッフが次年度事業の相談を開始した2021年8月から、公演までの1年2ヶ月にわたり、さまざまな試行錯誤があったことをうかがい知ることとなった。例えば、初めから社会包摂的な取り組みをしようとしたのではなく、あくまで招聘した演出家・ピンク地底人3号の関心に応じて障害のある人と関わり始めることになったこと。扱った作品が海外の戯曲であったこと。KAVCにとってはプロデュース公演が現体制で初めてであったこと。そこに、コロナ禍における稽古や公演、さらに本演出の根幹ともなる「ろう文化」との関わりも加わった。それまで聴覚障害のある人向けの公演だけでなくプロデュース公演の経験も薄かったスタッフたちは、実にさまざまなレイヤーで公演づくりのプロセスに翻弄されていったようだった。
全く別の演劇界
その中でひとつ象徴的なのが、座談会で広報担当のスタッフから出てきた「我々が日々つながっている、演劇の界隈とは全く別の演劇界があるということをそこで初めて認識した」という言葉だ。アフタートークのゲスト選定において、当初はろう文化の中で芸術活動をしている方に登壇を依頼したという。最終的には、その方は演劇を専門としているわけではなかったことから折り合いがつかなかったそうなのだが、「私よりも、ろう文化の中で演劇のことを扱っている人といえば、この人とか、あの人とかがいいのではないか」と、ろう者で演劇に関わっている方たちの名前を複数挙げていただいたのだという。しかしスタッフは、その名前を誰ひとり知ることもなく、ウェブサイトなどを探しても十分な情報にたどりつくことができなかったという。普段の自分たちが活動している演劇界と、ろう文化における演劇界のネットワークが、いかに異なるかということを痛感した、とスタッフは語ってくれた。
全く別の演劇界。
稽古場におけるコミュニケーションについてもこの問題が現れた。当初、本作の演出を務めたピンク地底人3号は、専門の通訳を準備していなかったという。その理由は、役者たちにも手話を覚えてほしく、手話通訳を介さずとも役者同士で会話や稽古のやりとりを行うことができるようになることを目指したかったそうだ。しかし実際に稽古を始めると、それは大変時間のかかることであることがわかってくる。きこえる人、きこえない人、きこえるがみえない人、とさまざまな状況にある人たちが一堂に会する稽古場においてのコミュニケーションは、通訳なしでは苦労の連続で、結果的に手話での会話も可能なピンク地底人3号の負担が大きくなっているように見えた、とスタッフは語った。最終的には稽古場に通訳を配置することになったが、予定外の出費ともなってしまったという。
また鑑賞サポートについても、スタッフが当初イメージしていたことと実際のギャップに気づいたという。例えば音声ガイドを作成するにあたって、初めて取り組む人にとっては、何を、どこまで、どのように音声でガイドしてあげたらいいのか戸惑うことが多く、スタッフたちも例外でなかったという。そこに、今回の出演者で視覚障害のある関場理生から「何でも情報保障をすればいいというものではない」という話を聞いて、スタッフは驚いたという。関場によれば、たとえば街中などで危険を伴う場所では情報が網羅的に示されている必要があるが、日常生活において、例えば何かを喋っている人が何を考えているかということはそこまで説明しなくてもいいというのだ。確かに、誰かが頭の中で考えていることは、セリフのように吹き出しが出てきて説明されるようなことはない。作品鑑賞の場合は、「解釈や想像の余地を残す」ことが重要で、説明し尽くさないこともあっていい、と関場は話していたという。この関場の意見はスタッフにとって、どこまで何を音声ガイドとして示すか、ということを深く検討するきっかけになったという。
公演の広報を行ううえでも悩ましい出来事が起こったそうだ。あるメディアの記事で、出演者を紹介する際に、出演者の人数が障害の種別と併記した形で書かれたことがあったという。障害のある人にとって、自分が何として呼ばれるかは非常に繊細な問題だ。ひとつの障害をとってもさまざまな呼称があるし、当事者によっては呼ばれたくない呼称もある。このことに対してピンク地底人3号から、そのメディアの記事を指して、出演者には共有しないでほしい、という意見があった。メディアの側はより多くの人に事実を伝えるため、わかりやすい表現を求めるのが常だが、実際にどのような表記を望むかどうかが当事者のアイデンティティによって異なる。また役者たちも、聴者であろうが視覚障害のある人であろうが聴覚障害のある人であろうが、フラットに役者として関わることを望んでいた人が多かったようだったという。このことはスタッフにとって、メディアと当事者との間、作品制作の現場と社会との間にあるギャップに気づく機会になったようだった。
丁寧なコミュニケーションから
公立文化施設を取り巻く環境はここ10年で大きく変化した。2012年の「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」(劇場法)制定の議論では、文化施設の果たす役割に「社会包摂」という言葉が挙げられ、2013年に出された「劇場、音楽堂等の事業の活性化のための取組に関する指針」では劇場や音楽堂等が「社会参加の機会を開く社会包摂の機能を有する基盤」として位置付けられた。またこの10年で、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(2013)、「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律」(2018)、「障害者による情報の取得及び利用並びに意思疎通に係る施策の推進に関する法律」(2022)などが次々と制定されてきた。このような背景から、公立文化施設の運営にあたっては社会包摂を意識したものが多く見受けられる。
KAVCの今回の公演『テロ』もその潮流の中に位置付けられると考えることもできる。ただし前述のとおり、本公演はKAVCという劇場が社会包摂の取り組みを行おうとして始まった取り組みではない。ことの成り立ちはあくまで、これまでKAVCで実施してこなかったプロデュース公演を実施するというところから始まっており、そのために招聘したピンク地底人3号がたまたま障害のある人たちの文化に関心を寄せていたことからこのような展開になった。
劇場によっては、法律や国等の計画で述べられているので何か社会包摂の取り組みをしなければならない、という思いから企画を始めようとして、うまくいかなくなることもある。聴覚障害のある人向けのサポートをつけた公演をやったはいいが当事者の来場や問い合わせがまったくないケース(もちろんそれでも継続していくことは重要であるが)や、そもそも地域の中のニーズを把握せずに的外れなサポートをおこなってしまうケースもあると聞く。一方全国を見渡すと、これらの法律ができる以前から社会包摂的な文化事業は民間レベルで多く存在していた(たとえば、現在は神戸・新長田に拠点を構える「DANCE BOX」は2007年より障害の有無を問わない出演者を公募し舞台芸術作品を創作するプロジェクト『循環プロジェクト』を実施してきた)。本来こうした事業は、上から降りてきてはじめて考えるのではなく、劇場職員がさまざまな人たちと関わっていくなかで、芸術文化に縁が遠くなってしまっている人々の存在に気づくことで必然的に生まれてくるものであろう。
そういった意味で本公演は、アーティストの提案がもとになって劇場職員たちが翻弄されていきながら、この劇場にとって望ましい社会包摂のあり方をイチから模索していったプロセスを踏んでおり、人と人とのコミュニケーションを丁寧に積み重ねていった結果がこの公演の成功につながっていったのだと感じられる。KAVCの職員たちにとっては「全く別の」世界であった、障害のある人たちとの関わり。しかしそのような異世界に出会ってもなお、その場で一つひとつより良い解決策を探ってきたプロセスが踏まれていた。
それにしてもスタッフ一人ひとりの工夫や苦労は非常に大きかっただろうし、負担に感じられたことも多かっただろう。異文化の交流の矢面に立つ存在は、往々にして見えない苦労を抱える。ただ、スタッフ一人ひとりに話を聞くと、この経験がネガティブなものとしては語られていなかったことは希望に映った。KAVCは2023年4月より名称を「新開地アートひろば」と改めると聞いた。健常者と呼ばれる人々の文化と、障害者と呼ばれる人々の文化を融合させることを試み、それぞれを尊重し、協働的に新たな文化をつくりあげていくこと。そのプロセスで生まれたさまざまなノウハウを蓄積し、繰り返し、劇場がさまざまな立場の人たちが集うことのできる場にしていくこと。それがまさに劇場の「ひろば」としての役割なのではないか。
長津結一郎
九州大学大学院芸術工学研究院准教授/文化政策、アーツマネジメント
専門はアーツ・マネジメント、文化政策学。障害のある人などの多様な背景を持つ人々の表現活動に着目した研究を行なっている。近年はおもに舞台芸術分野のワークショップや作品創作プロセスで起こっていることへのフィールドワークや分析を軸にして、現場からの視点をもとにした理論構築や社会実装を試みている。2013年東京藝術大学大学院博士後期課程修了。博士(学術・東京藝術大学)。著書に『舞台の上の障害者-境界から生まれる表現』(九州大学出版会、2018年)など。村川拓也演出『Pamilya(パミリヤ)』ドラマトゥルク(福岡きびる舞台芸術祭「キビるフェス」2020参加作品)。アートミーツケア学会共同代表、日本文化政策学会理事、文化経済学会<日本>理事、日本アートマネジメント学会運営委員、日本アートマネジメント学会九州部会事務局長。