• レポート
  • 美術

ART LEAP展覧会プラン公開プレゼンテーション

ART LEAP 2021 全体講評・選評について

  • Archives
  • 2021.10.20

神戸アートビレッジセンターの美術事業では、2018年度より30代から40代の芸術家を対象とした公募プログラム「ART LEAP」を開催しております。4回目となる今年度は、審査員にキュレーターの遠藤水城氏を迎え、2022年2月〜3月に当センターで個展を開催する作家の選考を行ってきました。今年度は27組の応募があり、8組の作家が書類による一次審査を通過しました。
▶一次審査通過者のプロフィールはこちら https://s-ah.jp/archives/5612/

7月25日(日)に出展作家の最終選考会「展覧会プラン公開プレゼンテーション」を開催し、その後の非公開による最終審査を経て、「ART LEAP 2021」の出展作家に船川翔司(ふなかわ しょうじ)を選出いたしました。本ページでは、審査員による講評と選評を掲載いたします。

ART LEAP 2021 審査員 遠藤水城|キュレーター/東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)代表

最終審査講評

皆さんそれぞれに特筆があり、クオリティも非常に高いと感じました。本当に誰が受かっても全く遜色ない、甲乙つけがたい展覧会プランでした。僕以外の審査員が審査をすれば、確実に結果は変わると思います。
まずは結果から発表します。選出された方は船川翔司さんです。
全員の講評をしながら、最後になぜ船川さんを選んだかをお話します。

横谷奈歩

非常に完成度が高く、社会政治性に対する誠実な思いが伝わってきました。芸術実践と社会学的なフィールドワークの両方の意識をお持ちでした。今しかできない緊急性、つまり無くなってしまうものを残すというアーカイブという観点からも非常に重要な取り組みだと思いました。
強いて言うなら、聞き書きを軸にした作品は、やはり先行例が多いです。その中で展示におけるプレゼンテーションや、自分の作家性などの特色がどこであるのかという部分をもっと出せると良いと思いました。ちょっと欲張り過ぎかもしれませんが、他の地域や戦争の場合と、なぜアジア・太平洋戦争が違うのかという視点もあると、より広い世界性が得られるのではないでしょうか。横谷さんという作家性とアジア・太平洋戦争という地域性が作品に反映されている状態がもっと見えると強みになるのではないかなと思いました。

宙宙

作品の成り立ち、ドローイング性、ものに対する手触り、自然の形そのものの美しさと人為的な美しさの区分けなどが非常に良くみえますし、センスの良い展示になると思います。
土木会社で働いておられた経歴から、地図や地層に関するデータを読めて扱えるスキルを持っているのはすごく強みだと思いました。データの部分は、おそらく展覧会としてもインパクトがある部分だと思います。自然を人間の行為と等価に扱っていくという最近の流れにも非常に則っているので、そうした意味で現代性をよく反映している作品だと思います。

堀川すなお

堀川さんは独自の言語を開発していますね。理解のされやすさと、理解され難さそのものが作品になっていると考えられるので、ある絶対的な道を進んでいくという印象を持ちました。自信をもって今の方法論を突き詰めてやっていってください。
青色で描いている点についても、試行錯誤の結果の青だという話をされており、非常に説得力がありました。作品の細部に関する一つ一つの説明がとても印象的でした。毎回状況に合わせて、言語の揺れ幅みたいなものを考慮しながら新しい取り組みをしていることもわかりました。とても説得力のあるプレゼンでした。

澤崎賢一

澤崎さんのプランの良さは、その領域横断性にあると思いました。人類学者や農学者の方と協働するアプローチは、既存の現代美術とは異なる複合的な視点を提供することができるはずです。
ですが、他者性の確定のさせ方が気になりました。僕は人類学を学んでいたということもあって、その辺は厳し目に見てしまうかもしれません。「安易に他者を他者化してはいけない」という原理があると思うのですが、澤崎さんはそこを回避しようとしているのはわかりましたが、ただ、やっぱりそこに齟齬みたいなものを僕は感じてしまって、惜しいなと思いました。おそらく、澤崎さんを評価する場合、このプラン一つだけでみるのではなく、アートに限らない全体の活動を総合的に見た方が良いだろうと思いました。

小笠原周

絵画や彫刻をアップデートすることは非常に大変なことだと思います。流行り廃りにのったり、売れそうな誘惑と常に戦いながら、それでもサバイブしていかなければいけない。今回のプレゼンテーションで話していたSNSの使い方や「観光」というものの導入の仕方も、嘘がなく正直な姿勢を感じました。嘘はつかずに、彫刻性の維持を測りながら、なんとか現代性を獲得しようとしている。プレゼンテーションのなかで「観光」がテーマと言いながら、もしかしたら「観光」と関係のないプライベートな映像が入ってしまうかもしれないと話していましたけど、コンセプトの一貫性という意味では正直言ってマイナスなんですよね。でも、作家の本音としてはわかる。その作家の本音部分を大切にしてほしいと思います。非常に素晴らしいことだと思います。そこは恥じることなく、堂々と本音と本気の彫刻を追求してもらえればと思います。

石塚まこ

石塚さんのプランは、来場者の方に提供される体験が、展示だけではなくワークショップもあるという点が非常に良いと思います。偶発性やその場でひらめいたこと、得たものをしっかりと展示に反映させる意思も感じました。
ただ、ワークショップをオーガナイズすることは一つのジャンルです。他者を扱うという専門性が必要ですが、そこが少し足りないのかなと思いました。各自が各自の特殊性を体感でき、各自が各自を肯定することができるんだという状態を実現するには確実な方法論が必要だと思うんです。それは人の集め方、話しかけ方、構成の仕方などに反映される。それは、絵画や彫刻というジャンルと同じくらいの厚みをもったものだと思います。そこに明確な方法論があれば良かったと思います。

鬣恒太郎

はっきりと絵画の問題を追及していることに共感しました。鬣さんが平面である絵画を空間に拡張する方法を提示しうるという部分は非常に信用できるものでした。プレゼンテーションの際も少し言いましたが、ゴリゴリの絵画や彫刻でこういった現代美術の賞やレジデンスをとったりすることって難しいんですよね。だからこそ、やっぱり絵画の言葉でいうフレームであったり、平面性であったり、構成であったりが、空間に拡張するとこう変化するという部分については確実に伝えなくてはいけないと思います。その上で、それがベタな社会性とは別の社会性に触れているというところまで、できれば言ってほしい。高いミッションですが、ぜひ探求してほしいと思います。

船川翔司

船川さんのプランは、今回のなかで一番それぞれの会場空間の特性を生かしていると感じました。1階は来場者が話せる空間、地下では風と穴、音が鳴っている、資料がある。且つ、あまり一般性という言葉は使いたくないですが、普通のおっちゃんが来ても「おっ、風があったかい」とか、それだけで笑える。この「笑える」が作品の浅い解釈になってしまうのか、本質的な理解なのかがすごく大事で、船川さんのプランはこの「おっちゃんの笑える」が本質になっている、コンセプチュアリズムの理解とほぼ同じになっている。これはすごく重要なポイントです。
コンセプチュアリズムは、一般的には難しく感じられがちです。そこを僕らのような専門家は「わかっている」ということにしています。一般性と専門性のギャップがそこで生まれますよね。そうなると作家の側も、専門家に、わかる人に理解してもらえればそれでいいや、という感じでコンセプチュアリズムに甘えるという傾向が発生してしまうことがあります。しかし船川さんは、そこをサボっていないと思いました。マイクで話せる、風がビュービューあったかい、謎の音楽と資料。この三角形の塩梅が非常に良いんですよね。そこには、より大らかなコンセプチュアリズムが召喚されている。もはや理解しようとも思わないくらい、どうでもいいような大らかさがそこにある。そこが非常に良いと思いました。
また、船川さんのプランは、現代美術的な制度から離脱する志向が感じられました。それは今回の候補者の中で唯一だったと思います。この離脱は、反アートとかではなくて、非常に繊細なトランスフォームのさせ方に宿っています。船川さんのプランには「アートはこのようになりうる」というのびのびとした意識が明確にありました。
この判断基準は僕だけが重要視しているもので、きちんと定式化されたものでもないような気がします。なので、この定規は絶対的なものではありません。ですので、他のみなさんが残念に思う必要は全くないと思います。今回はこの定規を採用することで、なんとか一人を選ぶことができた、というのが僕の実感です。他の定規であればまた結果が変わってくるものです。

全体の講評です。澤崎さんにコメントしましたが、全体を見てもやはり他者の設定について、非常に危うい部分が多々あったように思います。
「私はあなたのニグロではない」という映画がありますが、作家は他者を代弁、再表象してしまいます。社会政治性を作品に導入しなければならない、というのが現代美術の条件のように感じられるかもしれません。しかし安易にそれをやってしまうと、他者設定もまた安易になってしまいます。そこでダメージを受けるのはその代弁された他者になってしまう。こういう現象が、今回全員とは言わないですけど、何人かには当てはまると思いました。ですから、プレゼンテーションのなかで「あなたが考える他者の範囲は、あなたが確定したものではないですか?」という風に厳しく聞いたと思います。
僕と同世代の作家がどう他者設定をしているか、どこに限界があって、どこが欺瞞で、どこまでやるべきなのか、ずっと見てきているので、皆さんは僕らの世代にはできなかったもう少し先までいけると思うんですよね。
他者設定について厳しく細かいところまで言いましたけど、それを除けば本当にそれぞれのプランはクオリティの高いものでした。審査を非常に楽しむことができました。たまたま今回がこういう選び方だっただけですので、これに懲りずに自信を持って活動を続けてください。