2017.08.04
「追悼 映像作家・松本俊夫特集上映」の初日の上映終了後、関連企画として、川村健一郎氏(立命館大学映像学部教授)をゲストにお招きし、「松本俊夫:「映像」の変革」と題したトークイベントを開催しました。
川村先生は、川崎市市民ミュージアムにて映画部門学芸員をされていた時代があり、松本俊夫さんには、その当時にお会いされているそうです。また、学芸員時代の最後の企画として行われたのが、今回の関連企画と同じタイトルである「松本俊夫:「映像」の変革」という企画だったそうです。
「松本さんの作品はある意味数学的。それぞれの作品は緻密な設計図にもとづいて作られている。それらを紹介するために資料などを展示した。」川村先生の担当された企画では、松本俊夫さんの貴重な作品の上映のほか、ギャラリーでは松本さんのインスターレション作品も展示されたそうです。
「『ディシミュレーション 偽装』という作品を展示室のモニターで上映することになっていたのですが、この作品の中では、松本さんが死んでしまうシーンがあるのです。その作品を上映する会場の入り口に、松本さんから《遺作》とキャプションをつけてほしいと言われました。それは、現存しているにも関わらず、回顧展的に自身の作品を紹介されていて、あたかも自分が死んだかのように扱われているということに対して、松本さんは偽装をしたかったのだと思います。」という、当時の貴重なエピソードを伺うことができました。
また、「松本さんは語り手をどう撹乱するかを考えていた。カメラに映った対象を、鑑賞者は期待して読み込んで行く。それをずらすということを試みたかった。ドグラ・マグラでは、主人公が記憶喪失であり、語り手としては信用できない存在。であると、結果に対して原因が危うくなる。語りの主体を曖昧にするという考えが、どの松本作品にも一貫して感じられる。」
二元論的感覚に抵抗を感じていたという松本さんは、それら感覚を壊したい、ずらしたいというこだわりをもって、自身の作品を作られて来たのだという川村先生のお話から松本さんの作家としての強い信念を感じることができました。
「日常見ているものはいつだって疑われない。例えば、りんご。それをどの視点から見るか。スクリーンに切り取られたりんごは、それによって何のりんごなのか分からなくなる。映画には誰が見ているのかを曖昧にできる機能がある。」という川村先生のフレーミングについてのお話から、改めて映画というものが成し得る可能性を学ぶことが出来ました。
川村先生、ご来場の皆様ありがとうございました。