|広田淳一|「シンプルにお気楽で、かなり上質な」
湿度MAXの日々、みなさん、いかがお過ごしでしょう? どうも、気圧の乱れで情緒も乱れるアマヤドリの広田です。そんなわけで、KAVCにてTHE ROB CARLTONの『STING OPERATION』、千秋楽を観てきたぜ。ということで早速、劇評に行っちゃいましょう。
まず、白状しておきたいんだが、この日の私のコンディションは最悪だった。前日は仕事やら飲み会やら執筆やらで完徹。眠気と疲労でフラフラの状態で着席となったわけだが、それというのも、無理矢理にこの予定を入れ込んたからだ。そう、私はこの劇を観る予定なんか無かった。が、前日のリーディング・イベントで来阪していた私に、やたら目力の強い関西観劇ゴッド姉ちゃんは言ったのだ。「今、関西にいるならROB CARLTON観とけ!」と。そこで急遽、神戸に足を運ぶことになったのだ。
で、観た結果。――もう、ゴチャゴチャ小難しい劇評なんか書いている場合じゃねーな、と。とにかく、こいつらのやっている芝居には深みというものが無い。わびとか、さびとか、涙無しには――、とか。そういったものが全然無い。謎も無い。憂いも無い。あとはお客様それぞれの解釈で――、とか無い。カラッと爽快。キンキンに冷えたアルコール分2%のレモンビールを、のどごし優先でゴクゴク流し込んだようなスッキリ感だ。
何を言っているのか自分でもわからなくなってきたから解説をしていこう。この作品、スタイルとしてはいわゆる、「ウェルメイド」な「シチュエーション・コメディ」ってものになるだろう。が、まあ、ジャンル分けしたところで作品のことも劇団のこともちっともわかりゃしない。問題は、この劇団、この作品はなんだったのか? ってことだ。
『STING OPERATION』はホテルの一室を舞台にしたおとり捜査を扱った舞台だ。冒頭、ヘンな髪型でヘンな髭を生やした、――しかし、どこかハイソサエティーな風貌の男がご丁寧にも、「俺たちがこの劇を作った理由」ってやつを説明してくれる。そこで語られる映画に対する偏愛と、「こんなシーンが観てみたい! と思って作ってみたのがこの作品です。どうぞ御覧ください!」という導入の言葉に、ある種、この作品の魅力は結晶化されていた。
劇が始まるとまず、おとり捜査を遂行する刑事たちが打ち合わせをするシーンから始まる。とある政治家の金権政治を暴くべく、四人の刑事たちがチームを組んで収賄の動かぬ証拠を映像に収める、ってのがミッションだ。さて、物語が始まった。THE ROB CARLTONを見慣れている観客にとっては当然の光景なのかもしれないが、のっけから違和感はMAXだ。というのも、「登場人物、全員、アメリカン。」なのだ。誰も彼もが洋画の吹き替えのような非常にクセの強いしゃべりで全編を押し通す。リアクションもウザい。けれど、「なんでアメリカンやねーん」とか「欧米か!」みたいなツッコミは一切入らない。私は、「俺たちは、こーゆー感じでいくからな」とでもいうべき劇団の強い意思を感じ、この客席においてはこいつらの違和感全開のしゃべりをあますところなく受け入れるか、それとも死か、選択肢はそれだけしか無いと覚悟した。
シチュエーション・コメディとしては、まあ、よくできている。「すべてのピースが完璧にハマった!」とまでは言わないが、十分に緻密でよく出来た構成・脚本であったし、演技にもスタッフワークにも雑なところが無い。全体として非常に丁寧に作り込まれていて完成度が高く、何より、やっている連中が楽しそうだ。しかも、こいつらはサービス精神で芝居を作ってない。そこが実にクールだった。いや、実際、サービスは悪くないのだ。わかりにくさなんて微塵も無い。その証拠に、私の座席のすぐ後ろにいた小学校低学年とおぼしきやんちゃ少年ユニットのみなさんも、観劇中、終始爆笑の渦に叩き込まれていた。が、しかし、THE ROB CARLTONは「お客様のためにご奉仕」なんかしていない。こいつらは、こいつらにとっての「カッコいい」を単純明快に追求し続けているだけなのだ。
確かに、その演技体はお世辞にも自然とは言えない。だが、こいつらは「自然」なんて最初から求めていないんだから、そんなツッコミは野暮でしかないだろう。そのスタンスは、ポストドラマなんて犬が喰えってなもんで、「ゼロ年代以降の現代日本演劇シーン」のことなんか眼中に無い。既に書いた深みの無さも、「深みを出そうとした結果、出せませんでした」といった残念なものではなく、「それは別にカッコいいとは感じなかった」という、こいつらの感性を突き詰めた結果に過ぎないのだ。言うなればTHE ROB CARLTONは、ブルーハーツ的というよりもハイロウズ的な、RHYMESTER的というよりもRIP SLYME的な、芭蕉というよりも一茶的な、緻密に計算された意図的な軽み、を獲得した連中なのではなかろうか。
劇の終盤、ストーリーは予定調和から少し外れて、刑事たちのおとり捜査は思わぬ形で頓挫する。その失敗の内実というのは、「汚職にまみれていると思っていた政治家は、実は清廉潔白なナイス・ガイだった」というもの。まさか、の展開である。そんなわけで捜査は失敗に終わったわけだが、観劇後にはちょっと現実離れしたような浮遊感が残る。そう、私たちもよく知っているようにこの世界には確かに悪事があるし、ワイロも、汚職も、ハラスメントも盛り沢山の世界に私たちは住んでいる。THE ROB CARLTONはそんな当たり前の野暮な現実を突きつけて、観客に食あたりを起こすような「違和感」なんぞを持ち帰ってもらおうとなんてしない。刑事たちの七転八倒は、単なるから騒ぎに終わり、「犯罪者なんていなかったんや!」という「結論」が出る。その失敗には確かに徒労感はあるが、決して後味の悪いそれではない。そう、THE ROB CARLTONは悩んだフリなんかしてわかりきったことを説教するようなことはしないのだ。クソみてえな世の中に住んでいることを大前提にしつつ、クソみてえじゃない何かをクールに提示する。
冒頭の主宰によるパフォーマンスを観たときから感じていたが、こいつらには小劇場演劇にありがちな「鬱屈した自我を持て余して創作でそれを発散してます」とか、「社会の矛盾に対する激しい憤りを舞台という表現を通じて訴えています」とか、そんなうっとうしいものは毛ほどもない。――あくまで自分たちのやっていること、カッコよさ、ダンディズム、を、存分に楽しんでいる。そんなわけで、演劇を通じて社会問題について深く考えたい、とか、もっと賢くなりたい、とか、そういうことを劇場に求めている人はTHE ROB CARLTONなんて観なくていい。そこにはただ、自分たちのカッコいいと思ったことを存分に楽しんでいるやんちゃな大人たちがいるだけだから。
|プロフィール
広田淳一
劇作家/演出家/脚本家
劇団アマヤドリ主宰。さりげない日常会話ときらびやかな詩的言語を縦横に駆使し、身体性を絡めた表現を展開。簡素な舞台装置と身体的躍動感を必須としながらも、あくまでも相互作用のあるダイアローグにこだわりを見せる。日本演出者協会主催 若手演出家コンクール2004 最優秀演出家賞受賞(『無題のム』にて)、佐藤佐吉賞 最優秀演出賞・優秀作品賞受賞(2005年『旅がはてしない』)。