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KAVC FLAG COMPANY 2019-2020 匿名劇壇『大暴力』劇評|ウォーリー木下

2019年6月7日(金)9日(日)

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ウォーリー木下匿名劇壇「大暴力」

バリー・ユアグローばりのショートカットされた夢の断片(現実と夢が組み合わさった)がノイズ音楽のインサートと共に延々繰り返される。
ひとつひとつの断片が面白い(声を上げて笑える)ので、これはいつまでも見てられるな、と途中で思う。転換もスムーズでストレスが一切無い。
ここまで創り上げるのにどのくらい稽古したんだろう、など思ったりもするが、旗揚げから9年目ということなので、実質8年かけて稽古しているわけだ。
そりゃ、ここまでできるよな、と思う。劇団というのはそういうものだ。
長編は苦手なんです、と福谷君は言うけれど、もちろん今までの長編も面白い。しかし、今回のこの手法(フラッシュフィクションと名付けてる)は、発明なんじゃないかと思う。
もちろん今までにこういう演劇が無かったかと言われれば、短編を繋いだようなもの、は、あったような気もするし、僕なんかもやってみたことあるけど(「グルリル」とか「サンプリングデイ」とか)、 ここまで徹底的に、つじつまをあわせない、ことが素晴らしいと思う。
(僕のような)平凡な演出家だと、ついつい、まとめてしまう。なにか意味を見いだそうとする。繋がりを求めてしまう。
しかし福谷君は、そういうことはしない。彼の頭の世界で起こっていることをただスケッチしているに過ぎない。その世界はその世界でかっちりとしたルールがあるので、そこに物語を求める必要はないのだ。
物語は、観客が、作ればいい。
そういうスタンスに見える。素晴らしい。
ハラスメントやいじめの例を出さなくても、暴力というのはとても個人的(主観)なものだ。それが暴力かどうかは個人が持って帰るしかない。だからこそ、観客ひとりひとりが持ち帰れるようなこの手法(フラッシュフィクション)にはとても適していた題材でもあったのだと思う。
実際、見終わった後、ひとりで、もしくは誰かと、自分の経験を語りたくなっていた。それはあの舞台上の世界の続きを自分で作るようなことだ。エピソードの35とか36とか78とかを僕らは勝手にあのあと作るのだ。そのときにこの演劇はさらに大きな暴力の話になっていくのか。いやーすごいなー。

ここで僕は”構造の美しい演劇”が好きなんだと気づくのだけど、その話はまた今度。

|プロフィール

ウォーリー木下
演出家。劇団sunday代表。
戯曲家・演出家として、外部公演も数多く手がけ、特に役者の身体性を重視した演出に定評がある。他にもノンバーバルパフォーマンス集団THE ORIGINAL TEMPO のプロデュース・演出や、様々な演劇祭でのフェスティバルディレクターを務める。2018年4月に神戸アートビレッジセンターの舞台芸術プログラムディレクターに就任。(フィルムアート社)