|溝田幸弘(神戸新聞社文化部)|「大暴力」評にかえて
おお、これはプロレスの会場だ。ホールに入り、席に着いて思った。
向かい合わせの客席に挟まれるように、役者が演じる細長いスペースがある。その中央には正方形の舞台。上手・下手には大きなスクリーンが備えられ、その周囲に椅子や衣装が散らばる。天井から額縁のような装飾がつり下がり、客入れの派手な音楽が鳴り響く。
四角い舞台はリング、両サイドの椅子は関係者席。出番のない役者たちは椅子に腰掛けたり着替えたりして、ファイトを見守るセコンドといったところか。「大暴力」というタイトルも踏まえた舞台セットなのだろう。
とはいえ、肉体的にバイオレントなシーンは少ない。本作が描くのは、精神的な暴力である。
数分間のエピソードが30以上、次から次へと演じられる。「それはちょっと言い過ぎ」とか「一言多いわ」とか、普通に生きていれば誰もが毎日感じる、人とのささいな衝突。それに歯止めがかからず、どんどん話が膨らむ過程が、コミカルさと緊張感を伴って描かれる。
劇団、恋人、昔の同級生、バイト先の上司と部下…。シチュエーションは幅広い。「他人のイラッとさせられるちょっとした言動」を、よくもこれだけ覚えているものだ。
例えば筆者のような小心者は多少イラつくことがあっても、その気持ちをぐっと飲み込んでヘラヘラ笑い、場が丸く収まる方向を目指す。しかしこれは芝居である。登場人物たちもヘラヘラ笑うけれど、対立はむしろ先鋭化する。理屈ではなく「力」で相手を押さえつける、あるいは押さえつけられる瞬間へと至るプロセスを、私たちは目にすることになる。
プロレス会場のような舞台セットが、ここで効果を発揮する。出番のない役者たちが、四角い舞台脇の上手・下手で衣装を着替えながら進行を見守っている。芝居であり、芝居でないように見える彼/彼女の存在が、観客と舞台の間に立ち、観客に傍観者でいることを許さない。
そうした空気の中で、劇団内のもめ事を取り上げたエピソードが描かれ、これがまたパンチが効いていた。高圧的で独裁的な演出家と、その一挙一動におののく役者たち。いちいち挑発的に振る舞う古株の女優と、つもりにつもった鬱憤を爆発させる若手。「これ、台本通りですよね?」と確認したくなる迫真の演技。まるで自分自身が劇団員であるかのように、緊張感に身をすくめてしまった。
肉体的暴力の最たるものといえば戦争だ。それを題材にしたエピソードが、今回は一番リアリティーが薄かった。現代を生きる私たちにとっては、精神が抑圧される、傷つけられることこそ、まずは忌避すべき暴力なのかもしれない。
自己を貫いて、他人を傷つける。相手を傷つけないように、自分を抑え込む。あるいは、ともに傷つかず生きるために、こまごまと心を砕き合う…。現代は、本当に繊細な社会になったと感じる。 とまあこんな風に、益体もない妄想を膨らませて杯を重ねたくなるのは、本作がいい芝居だった証拠だ。匿名劇壇と、KAVC FLAG COMPANYの今後が楽しみである。
|プロフィール
溝田幸弘
1970年、大阪府堺市生まれ。神戸大大学院文学研究科修了、98年神戸新聞社入社。北播総局、社会部、文化生活部、整理部、北摂総局を経て2015年から文化部。演劇と囲碁将棋を担当する。