神戸アートビレッジセンター(KAVC)では、夏休みの時期に合わせ、高校生のための演劇ワークショップ「Go! Go! High School Project(通称:ゴーハイ)」を開催しています。学校の枠を越えて集まった高校生が、プロの演出家やスタッフとともに一本の芝居をつくり上げる企画です。
今年は、兵庫県内を中心とした10校から16人の高校生たちが参加し、アメリカ演劇史における代表的劇作家、ソーントン・ワイルダーの『わが町』を上演しました。
また、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、完全オンラインでの開催年を挟み、3年ぶりに、対面での稽古を経たホールでの成果発表公演を実現することができました。
14回目の開催を迎えた「ゴーハイ」は、高校卒業後も演劇活動を続けるメンバーも多く輩出しています。
現在、京都を拠点に活動するアーティストグループ・劇団の「安住の地」に所属し、作家・演出家として精力的に創作活動を続ける、私道かぴさんも、その一人です。
今回は、自身の高校時代の「ゴーハイ」から、現在の創作活動に続く道のりに、今年の「ゴーハイ」成果発表公演を重ねた、私道さんによる寄稿文を掲載します。
高校時代に演劇をやってみることは、どこへ、何に繋がっていくのか。
「ゴーハイ」だからこそ、高校生だからこそ、生み出される表現を紐解きます。
●Go! Go! High School Project 2022 成果発表公演「わが町」
公演日:8月21日(日)
公演情報はこちら:https://www.kavc.or.jp/events/9289/
人生において「ああ、この時が終わってほしくないなあ」と心の底から思う時間は、そう多くはない。私にとってはその中のひとつが、Go! Go! High School Project(以下ゴーハイ)に参加したあの夏だった。
神戸の高校生がひと夏を通して神戸アートビレッジセンターに通い、プロに指導してもらいながらひとつの演劇を作り上げる。それまで演劇を観るばかりだった私は、自分がプロの俳優に教えてもらえること、舞台に立てることに興奮していた。どれも初めて経験することばかりで、毎日が刺激的だった。当時関わり合いのある大人なんて限られていたから、知らないことを教えてくれて、励ましてくれる俳優やスタッフの優しさに驚いた。「どうして子どもをこんなに対等に扱ってくれるんだろう」と思って、帰り道は毎回胸の中があたたかくなったものだった。
成果発表公演には参加者の親やたくさんの友人が集まり、客席は熱気に包まれていた。それは舞台裏も同じで、本番前には出演者で円陣を組んだし、自分の出番が終わる度に「あと〇回しかこの台詞を言えないんだな」と悲しい気持ちになった。最終公演の開演前、よく帰り道を共にした一人と、目が合った。どちらからともなく近付き、無言で抱き合う。その力の強さで、彼女が思っていることが伝わってきた。「言葉はなくても、行動だけで思いが伝わることってあるんだな」と、生まれて初めて知った。
このように、私のゴーハイの思い出は、「ザ★青春」と言えるくらいキラキラしている。どこに出しても恥ずかしくない、素敵な高校時代の1ページだ。
しかし、そんな1ページを、いつの間にかうまく直視できなくなっていた。大学で学生劇団に所属し、見える世界が少しずつ広がってきたからだ。
高校生の自分にとっては「精一杯の演技」でも、後からよくよく考えると酷いものだった。腹式呼吸ができず、声を枯らした。感情のこもった演技なんてもちろんできない。観客の前で、覚えた台詞を嚙まずに言うので精一杯だった。あれを演技だと言って、「自分たちはやり切った」と思っていたことが、急に恥ずかしくなってきた。公演を観に来てくれた観客は実際どう思っていたのだろう。「すごくよかったよ」「感動したよ」といった言葉は、もしかしたら私たちに気を使って言ってくれたものだったのかもしれない。
そんな思いがぐるぐると巡って、私はそれ以降ゴーハイをどう捉えていいのかよくわからなくなった。あれからもたくさんの後輩たちがゴーハイを続けてきたと言うのに、どうしてか足が遠のいてしまっていた。本当にわからなかったのだ。「観客は、この不完全な演技のどこに感動しているのだろう?」と。子どもの一生懸命な姿に自分の在りし日を重ねているのか、あるいは身内への贔屓によるものだったのか。
ところが、とあるきっかけから2022年の成果発表公演『わが町』を観ることになり、久しぶりにまたゴーハイと向き合うことになった。開演前、席をどこにするかと何やら熱心に話し合っている家族がいた。「あっちがいいんじゃない?」「真ん中の方が見やすいよ」。おそらく家族の誰かが出演するのだろう。別の席では、初めて劇場に来たのだろう高校生らしき男子二人がそわそわしながらふざけ合っていた。そんな最中、作品はとてもさりげない形で始まった。日常の延長のような立ち振る舞いで、役者が舞台上に上がって来た。その段階では「作品が始まっている」とは気付かなかったのだろう。客席の男子二人はしばらく喋り続けたあと、自分たち以外の観客がしんとしているのに気付き「あれ、これってもう始まってる…?」と言って黙った。
序盤に、舞台上に出演者の全員が並ぶ場面があった。その時の、彼ら彼女らの立ち姿を見て、はっと息を飲んだ。
その身体が、完璧な「不完全」だったのだ。
重心がきちんと定まっておらずふにゃふにゃとして、仲の良い友人の肩にもたれかかるような身体。意味もなく相手をぽん、とふざけるようにさわる仕草。
役者としては、おそらく「だめ」な身体性だろう。一人でしっかりと立てもしないのだから。しかし、それが衝撃だった。そして、ひとつのことがわかった。
「ああ、これが高校生の、今しかできない身体なのだ」
ゴーハイで様々なことを教わった中で、今でも思い出す言葉がある。講師だったTAKE IT EASY!の山根さんのひとことだ。
「みんなはいま、今しか話せない言葉を話してるんだよ」
それは、即興で発した会話で脚本を起こそうとしていた時のことだった。私たちは、今しか使わない言葉を使って、今しかできない喋り方をしているという。当時は理解できなかったけれど、私は舞台上の不完全な高校生の身体たちを見て、その言葉の意味がよくよくわかった。
観客は、決して自分の過去を懐かしんでとか、自分の子どもの成長を思ってとか、それだけに感動しているわけではない。いま目の前にいる、不完全な身体の、未来を思って心動かされているのだ。こんなに定まっていなくて、崩れてしまいそうな身体で、高校生たちはこの先様々なことを経験していく。その未来を思って、私たちはこんなにも心動かされるのではないか。そして思うのだ、頑張れ、頑張ってねと。
終演後、先ほどの男子二人は懸命に拍手を送っていた。ゴーハイで成長するのは、何も出演者だけではないらしい。受付にいたスタッフが目に入る。すがすがしい表情で立つ面々は、かつて今日の出演者と同じようにゴーハイを経験したメンバーだ。彼ら彼女らの背筋はぴんと伸びて、そこに当時の不完全な面影はない。これでいい、と思った。そしていつか今日の出演者も、ここから同じ景色を見るといい。
人生において「ああ、この時が終わってほしくないなあ」と心の底から思う時間は、そう多くはない。しかしここには毎年ある。そして、時間はあの夏の後も、着々と積み重なっていく。
私道 かぴ(Shido Kapi)
作家、演出家。京都の劇団「安住の地」所属。『丁寧なくらし』が第20回AAF戯曲賞最終候補に、『犬が死んだ、僕は父親になることにした』が令和3年度北海道戯曲賞最終候補に選出された。国際芸術祭あいちプレイベント「アーツチャレンジ2022」入選。「水郡線 奥久慈アートフィールド 2022」にて、駅舎で音声作品を展示中(~2023年1月15日)。