• 劇評
  • 演劇・ダンス

KAVC FLAG COMPANY 2021 – 2022|劇団不労社「BLOW&JOB」

ミルクマン斉藤『劇団不労社「BLOW&JOB」はこうして始まる』

  • Archives
  • 2022.8.12
  • Text: ミルクマン斉藤

 

「おはようございます! 株式会社最幸、まもなく始業時刻となります」

 開演時間になると朝の朝礼放送のような(といって、そこにはお決まりの、観客への注意事項が盛り込まれているのだが)女声アナウンスが聞こえてくる。その妙な白々しさと無意味に前向きな明るさは、否応もなくジョージ・オーウェル的な全体主義(むろん思想は反・全体主義だが)のクリシェだよな、と思わせる。
 フラットな会場のフロア全体を馬蹄状に囲むように設置された客席。段差のある、いわゆる舞台のようなものはない。すなわち客席からやや見下ろす態になるフロアにはいくつかのデスクと応接用のスペースのようなものがあり、いうまでもなくここはオフィスだ。社内で徹夜仕事を終えてそのまま倒れこんだのか、床に居ぎたなく寝転がって大イビキをかいている若い男がいるが、それを除けば普通の朝の会社の風景である。
 社員の出社時刻前であるから、中年男の用務員が掃除しに来る。無防備にも空けっぱなしになっている爆睡している社員の鞄から財布を引っこ抜いて去る用務員。彼は実は元ヤクザで、どうやら社長と繋がりがあるらしいことは後々判るけれど、そんなことは知る由もない。
 三々五々に出勤してくる社員。寝ていた男、新井今鹿(なうしか)の先輩・力石は朝っぱらからパワハラセクハラの権化のような言辞をひたすら大声で吐きまくる。女子社員・丸岡桃子と玉山は、それを見て見ぬフリ……とまでは言わぬけれど、できるだけ波風立たぬようクライアントが要求するとおりのホームページ作りを遂行する。オフィスを統べる部長の北村恭花はそれなりの威厳はあるものの、このアナーキーさをぶち壊すだけの意思はさらさらない様子。社長の息子である金太郎は、このオフィスの空気にはおよそ不釣り合いなチャラキャラだが、その出自ゆえ誰も不用意にはツッコめない。そこに新しく加わるいかにも真面目な風情の派遣社員・細川由貴也。教育係となった新井の鬱憤不満のとばっちりをまともに受けることとなるのだが……。

 劇団不労社「BLOW & JOB」のオープニングはこうしたものだ。まあ、言ってみれば唾棄すべき現在の……というか伝統的ともいえる、疑似家族的日本的企業の悪しき体質の縮図(正社員と派遣社員のヒエラルキーもある)、そんな無間地獄にフラストレーションを抱えながら、発散する場所もなくじくじくと悪意を育てつつ、それでも毎日出社してくる人々……たとえば「社畜」と蔑称される人々の群像劇である。そんな動物農場の面々(役名は日本アニメの有名キャラにちなんでいるらしいのは次第に判ってくるが、世代的なものもあるんだろうけど、全員が具体的に特定できないのがなんだか悔しい)をのっけから観察するような謎の「柱」がオフィスの中央あたりに屹立している。
 謎の、といっても案の定それはモニタカメラであり、別室で社員の行動は逐一管理されているのであって、こりゃまさにオーウェル的ディストピア。しかし……今となっては、こうしたオブジェの存在は説明される前から何となく勘づくもので、「実は」とバラされたって微塵も意外と思えぬ現実認識の格差を感じざるを得ない。もはやこういう設定はクリシェなのである。

 正直そもそも、さほどプロトタイプから逃れ得た作品ではないのだ。これじゃまんま、もはやクラシカルというべきプロレタリア演劇じゃないか。作者は現在進行形のSFとかに興味はないのか? 発想の飛躍のなさに次第にイライラしてくる。
 正直僕は映画が専門であり、演劇評などほとんど書いたことがなく、それゆえに面白がってこの稿を依頼されたのであろうけれど、リアリズムを虚構として落とし込む手法がいささか古すぎるよな、というのが本音である。いまさらこれの、どこが面白いんだ? 意外性も新たなヴィジョンらしきものもなく、いささか戯画化した旧態依然たるイデオロギーからまったく逃れ得ていない。
 それより舞台表現的に気になるのが台詞の聞き取りにくさだ。客席が円形に舞台を取り巻く関係上、マイクなしにひとしなみに音声を届けるのは無理であり、そんなこと我々も望んでいないのだけれど、肝心な箇所で全方位的に聞き取れないのは流石にアウトである。女性陣はそれなりにコントロールしていると見えたが、階層的立ち位置がその場その場で変化するキャラクターの関係性と連動しつつ、基本的にはハイテンションを貫かねばならない男性陣の図式的な絶叫演技のエスカレーションは、次第に僕にとってひたすら不快なものとなっていった。
 とりわけこの演目最大の憎まれ役に相当する力石。弱きものには高圧的に、強きものには従順に、という判りやすすぎるキャラはいっそ思い切りの良さってものだが、とにかく声のトーンが一本調子でウルサいだけ。そもそも「ド」が着く下ネタであるこのタイトルの由来を喋る箇所が勢いまかせにさらっと流されるのは非常に問題だと思う。そこで出てくるのが「尺八プレゼンテーション」という言葉。なるほど、クライアントを喜ばせるべく、しっかりおしゃぶりしてさしあげる、ってことですか。それってBLOWJOBに対しても極めて一方的な見解でありましょう。まあ、「JOB」というんだから、もともとは「お仕事行為」って意味が大きかったんだろうけれど。

ミルクマン斉藤(みるくまん・さいとう)

映画評論家。groovisions。1963年京都生、大坂在住。現在、ミーツ・リージョナル等の雑誌連載の他、Lmaga.jpにおける映画人インタヴューや、TV Bros.WEBやシネマ・トゥデイでの映画評などで執筆。トークも全国的に奮迅し、大阪・NOON + CAFÉでの映画月評イヴェント「ミルクマン×UE神のCINEMA NOON」をライヴ&YouTube配信中。