Ahwooo「パンと日本酒」
アフタートークレポート

アフタートーク登壇者

矢内原美邦(ニブロール主宰)

Ahwooo(中野そてっつ・牧野亜希子・如月萌)

ウォーリー木下(KAVC舞台芸術プログラム・ディレクター)

ウォーリー木下: KAVC FLAG COMPANYは去年から始まったシリーズもので、関西のぜひ見ていただきたい若い劇団を紹介する枠です。その2020-2021のトップバッターがAhwoooさんなのですが、この公演をまずやるのかやらないのかっていうことがあったと思います。この公演に至る簡単な経緯を教えてもらえますか?

Ahwooo(中野): 去年、このKAVC FLAG COMPANYが決まって嬉しいってなってすぐ準備を始めて、本当は出演者13人で90年代神戸を舞台にした話をやろうってことで出演者も全員決まってた中で、あまりにも新型コロナの感染拡大もあって13人では対策しきれないなって。そちらを延期させてもらって、今回は最小人数の劇団員だけでなんとか二日目を、まだ終えてない?なんとか迎えられた。っていう感じですね。

矢内原美邦: まず劇の感想の前に、劇場の役割ってことを見ながら考えたんです。私も劇場で活動していて全然知らない若いカンパニーを観に行くことって多々あります。今はもちろん行けませんが、やっぱり劇場っていうのは都市の中にあるローカルだと思うんですね。都市の中でいうと自分たちが求めたものや結果があるものしか行かない。例えば買い物に行くとか。何かわかんないけど見に行くっていうことはなかなかないと思うんですね。でも、なんかわかんないけどそこに行くっていうこと自体が、都市っていうのはグローバルなんですけど、都市の中にローカルが存在するってことが劇場っていう空間なんだなってことを改めて考えました。
劇の中身は、お互い最後まで分かり合わないのかって。やっぱり時間を重ねて見ていくと、もしかしてこの分かり合えない二人は分かり合えるんじゃないかなって思ったんですけど、どうして分かり合えないまま終わっていったのか、お聞きしたいなって。

Ahwooo(中野): ありがとうございます。しかもそこを突っ込んでいただいてすごく嬉しいです。
元から分かり合えない二人にしようってことは思っていたんです。その理由というか、今マジで全員が同じことを考えているのが、嫌なんです。皆さんの悩みと私の悩み一緒ですよ、このコロナ禍いつ終わんねんって。みんなの心が一つにみたいな状態が嫌すぎて、分かり合えないこともひとつの贅沢やなって思ったんですよね。みんな同じことを考えて、心を一つにしたくないっていう自分の希望をもって最後まで2人には心を通わせないって。心は通わせなくてもお互いは敵ではないみたいな状態を描きたいなって。ちょっと考えたんですよ、分かりあおうかなって。簡単に分かり合えたらあかんやろ、分かり合えなくても存在してていいみたいな、ラストにしたかったので。

矢内原美邦: そうですよね。だから、二人とも死にたくないっていうセリフが出てきた時は、分かり合っていなくても、どういう形であれ二人は生きたいんだなってことが伝わってきました。

ウォーリー木下: 役者さんは大変ですよね。いろんなストレスがある中で作っていて。かつ、最後ね。役柄としても終わりがないっていうことは。

Ahwooo(牧野): 中野が描く作品って、ここから先もきっとこの人たちの生活は続いていくし、今ここでわかり合わなくてもわかり合う日は来るのかもしれないし、まだまだ続くぞっていう、そういうのを書くことも多いんで、そこの負担は別にないんですけど、コロナ禍での稽古はかなりストレスがありました。いろんな劇団が公演始まる直前に濃厚接触者出ました!止めます!みたいなのあったじゃないですか?うちらもそうなりかねへんなって、でもそうなっても誰のせいでもないから。っていうことは三人でずっと言い合ってたんですよ。それでも神戸入る前のPCR検査受ける時、これで陽性やったらってのはありましたね。

ウォーリー木下: ちなみに矢内原さんは、ご自身の活動的にも今なかなか公演を打つのもままならず?

矢内原美邦: そうですね。だから今日観てとても勇気をもらいました。
劇場全体、世界的にもそうですけど、どの劇団も、これからやる劇団もだし、ウォーリーくんもだし、みんなはそれなりのストレスを抱えてこの場所に立っているから。その場所に行ってここの空気を感じるっていうことの大切さを久しぶりに、自分の現場ではない場所に来て3人に教えてもらったっていう気がしました。東京とかはもっと厳しいというか、始まる前に全員でPCR検査して稽古始まって劇場入る前にもするっていう。でも、こうやって神戸でもほぼ満席でみんながそういう場所を求めて来てくれているっていうのはすごいことだなって。すごく感動しました。みんな一生懸命見ている姿だったり、どうしてこうしたんだろうとか、なんで同じ繰り返しを劇中でしているんだろうとか。それが演劇の時代性だったりとか何度も1・2・3と繰り返される社会性だったり、そういったものが戯曲の中にも現れているし、役者の二人のストレスも劇中の中にも現れていたと思うんです。観客として見ているときにも感じることができましたし。ただそれをどうやって乗り越えていくべきっていう課題は一つ残ったかなって。

ウォーリー木下: 思ったよりダイレクトだなって。もちろんマスクやフェイスシールドをしていることも、ウイルスの話がモチーフだったり、まさに昨日起きたことを舞台に乗せているというか、作家さんがこの期間に考えていたことを、とりあえずまとまっていなくても乗せるぞっていう感じは演劇でしかできない表現だなって。

Ahwooo(中野): 確かに作品を作るにあたって、まず一番安全な方法から選択していたというか、二人がマスクをしている理由を作るかぁみたいなところからつくって、こういう機会がなければ制限されてやる機会もなくそれはそれで面白いんかなって思いつつ、今は普通にマスクを外して、コロナとか関係ない芝居をやりたいって気持ちにはなってますね。

矢内原美邦: それが良かったんだと思います。今しかできないことだし、3人の関わり方とか。ストレス、コロナと全然関係ない劇を作ることはこの先多分できると思うので、それを今ここでやって神戸のみなさんに見てもらうってのはすごいことをやったなって思いますけどね。

ウォーリー木下: さっき言っていた同じ方向のことを考えないといけない時代になっていて、多分自由じゃないと思う。僕もそう、特に本を書いている方にとって、自由か自由でないかはわりと重要で、今世の中は自由でないと感じていて、こういう作品を作ったけど、まさに自由じゃない制約の中で、作品を作らないといけない矛盾を抱えていて、それを良しとしなくてはいけない。じゃどうするの?ってラインが結構大きいなって思っていて、作り手側の。
例えば、ギャラリーとか。一つの絵しか置かないギャラリーとか一冊の本しか置かない本屋さんとかコロナの前から美術の世界では頻繁にやっていて。
その場所に行って何があるのか、どんな絵があるのか、わからないけれどそこに出かけてイマジネーションを起こすってことを美術の世界ではやられていて。映画館でもやっていますけど。ニューヨークとかだと、今日どんな上映があるのかってことがわからないけれど、その場所に行くととにかく何時から演劇や映画が観られるっていう状態があった。そうあるべきだと思っていたんですけど、日本の中ではなかなかできなくて。でもコロナになったおかげで予算関係なく試みのような一人芝居や二人芝居だったりとか、とにかくやるっていう、オープンするっていうこと。そして私たちは観客としてそこに行けるっていうこと。何かストレスを抱えながらもやるっていうことが、すごい重要なことだなって。今日こういう若い人たちがこの場所でお客さんが見ている状況でオープンしていくこと。お客さんとして見ていても思いますね。今回劇団だけでやったこととか二人芝居にしたってことは結果的にとてもオープンにできる仕組みだったのかもね。

矢内原美邦: 前半、なんで東京弁からだんだん関西弁に?

Ahwooo(中野): だんだんでしたよね。やっぱりなぁ、違うんです。本当は標準語を頑張ろうって言ってたんですけど、だんだん訛っていって。普通の標準語を意識したんですけど。

ウォーリー木下: 普通の標準語ってのはないからさ。方言に近づいていくグラデーションは面白かったですよ。

Ahwooo(牧野): 「運搬の時も」って、「運搬のときも↘︎」なのに「運搬のときも↗︎」になってたで。

Ahwooo(中野): 何回か関東の人に来てもらって、直してるんですけど、3人で稽古しているとどれが正解かわからなくなって。

Ahwooo(牧野): これはどっちや?ってなってそこの言葉だけでなく自分がそもそも話している言葉が標準語なんか関西弁なんかわからんくなって。回を重ねるごとに。

ウォーリー木下: SE(=効果音)の使い方とかすごい好きでしたけどね。怖かったですよ。ただなんか見ていてどういう話なのかわからないまま進んでいく感じが。音は音響さんに作ってもらっているんですか?

Ahwooo(中野): 作っていただきました。ありがとうございます。

ウォーリー木下: どういう指示を出したんですか?

Ahwooo(中野): ペタペタとか水の上を歩いている感じとかカガチミムスがどんな形の生き物でとかは説明しましたけど。

ウォーリー木下: どういう形してるの?オオサンショウウオみたいな?

Ahwooo(如月): カガチミムスは、カガチってのが蛇っていう意味で、ミムスってのがもどきなんですよ。ウミヘビのような害獣で本当は蛇みたいな害獣が琵琶湖で見つかって。でも、実は琵琶湖だけでなくて全国で見つかって広がっていて、本来であれば水に住んでいるってことで水に手出さへんかったら影響ないってことやったんですけど、進化して手足が生えた、カガチミムスがいたんです。舞台上に。

ウォーリー木下: 最初、オーツーって聞こえてたけど、それは大津のことなの?それも関西弁の訛りでそう聞こえているのか、本当にそうなのかわからなかったんだよね。

Ahwooo(如月): 大津って言ってます。標準語です。

ウォーリー木下: じゃあ、なんかせっかくだからお客さんから。わりと分かったようで分かんなかったこともあると思うんで。今日来ていただいている矢内原さんにでもいいですし。

観客: 多分、コロナになってから演劇で笑いの部分が一番ダメになって来ていて、客席からの笑いがほとんどみない。今回ももし、マスクを取っていて客席が埋まっていたらもっともっと笑いが出たシーンがあったと思うんです。実際に面白かったですし。でも、笑いの反応が迫ってこないってのは、演者さんとしてはどうですか?

Ahwooo(牧野): 正直、自分たちが滑稽だとは思っていなくて。だから感想ですごい最初のシーンとか見ていてイライラしましたとか、東京でも言われたんですけど、そんなにイライラしたの?ごめんねみたいな。だって自分たちは自分たちの本当のことしか言ってない。自分の中の正義しか言ってない。お互いに対してのイライラはあるんですよ?でもそれが滑稽だとは思っていなくて、ただ、こういう状況ってどこにでもあって、外側から見たら滑稽やなって思うことも本人たちからしたら、真剣。だからここで笑いが起きたらとか考えてなくて。逆に関西来たら、みんなあったかくて、笑いが。ここで笑ってくれるんやみたいな、って戸惑いが。

Ahwooo(如月): 東京の人と笑う箇所が違うんですよ。昨日も初日に、ありがたいねぇって。

ウォーリー木下: そろそろ時間が来ました。このKAVC FLAG COMPANYはAhwoooさんのあと、まだ5団体あります。チラシは外に置いてあります。カブックは来年の3月までいろいろやりますんで、是非また遊びに来てください。今日はありがとうございました!

矢内原 美邦(やないはら みくに)
ニブロール主宰。振付家、演出家、ダンサー。日常の身ぶりをモチーフに現代の空虚さや危うさをドライに提示するその独特の振付けは国内外での評価も高く、身体と真正面から向き合っている数少ない振付家のひとりと言える。ミクニ ヤナイハラプロジェクトでは演劇にも挑戦し、ジャンルを問わないその活動はニブロールのみならず、多数のアーティストとコラボレーションするなど世界中を舞台に活躍中。2012年 第56回岸田國士戯曲賞受賞、横浜市文化芸術奨励賞受賞。15年文化庁文化交流大使として東南アジア諸国に派遣される。